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名古屋鉄道100形電車(なごやてつどう100がたでんしゃ)は、現在の名古屋鉄道(名鉄)の前身事業者の一つである旧・名古屋鉄道が、1924年(大正13年)に導入した木造4輪単車構造の電車である。 旧・名古屋鉄道が社名を名岐鉄道と改称したのち、形式称号に4輪(4=シ)単車構造の電動車(デンドウシャ)を表す「デシ」の記号が付され、以降デシ100形と呼称された。 == 沿革 == 旧・名古屋鉄道が1923年(大正12年)に吸収合併した蘇東電気軌道の路線を蘇東線(後の起線)として開業させるに当たり、1924年(大正13年)に名古屋電車製作所で製造されたものである。主要機器は1形電動貨車を電装解除・貨車化した際に発生した余剰品を、台枠は1920年(大正9年)6月の那古野車庫火災で被災廃車となった500形の発生品をそれぞれ流用し、101 - 104の4両が落成した。 全長8,077 mmのオープンデッキ構造の木造車体を備える4輪単車で、台車はブリル21-E、集電装置はトロリーポール、制動装置は手ブレーキと発電ブレーキを装備していた。本形式は前述の通り台枠が鉄道線用のデシ500形からの流用のため、自重が10.2 tあり、同時期製造の木造4輪単車構造の路面電車と比較して自重が1.5倍重かった。 現在の名古屋鉄道になった後、1949年(昭和24年)にモ40形と形式称号を改め、記号番号は旧101がモ44、旧102 - 104がモ41 - モ43となった。この頃、集電装置をビューゲルに交換した。その後名鉄において4輪単車の記号番号をゼロ起番とする方針が定められたことに伴って、モ44をモ40と改番した。 起線は1953年(昭和28年)、電車の運行を休止してバス代行輸送とし、1954年(昭和29年)6月1日付で正式に廃止となった。モ40形は全車が岡崎市内線に転籍し、この際前面に行先表示幕が取り付けられた。 廃車は1959年(昭和34年)9月のモ43から開始され、翌1960年(昭和35年)8月にモ41が、同年12月にモ40・モ42がそれぞれ廃車となり、形式消滅した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名古屋鉄道100形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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